エストニアの何某は日本が合理化できないのは日本の精神性だと思っているみたいだけど

話題になっていたようなので、読んだ

読んだ上でなんとも言えな読後感に苛まされたので書くだけ書いておく

多分だれも読まないと思っている。

 

陸欧州と比べてわかる日本の労働者の働き方の「ヤバさ」について - エストニア共和国より愛をこめて

www.from-estonia-with-love.n

端的に言えば

日本と比べて欧州はオートマチックで、自由で、開放感にあふれている(全部同じような意味だな)

何につけても不合理な日本社会はおかしい、不合理なのは日本の精神性がわるい

 

との話なんでしょうけど、率直に言って日本が不合理なのはわかるが

精神性のそれを否定するとどこかで何かが違う気がする。

 

というのも日本人の精神言い換えて「根性」は時代によっては合理的だった場合もある

 

①文明開化からの富国強兵、脱亜入洋では意見は分かれるだろうが欧州と対等に戦える力はぐくんだ結果「合理的」

②戦争末期は戦争を継続に利用されてしまう「不合理」

バブル経済では労働力確保、経済発展によるたの「合理的」

④そして今は無慈悲な科学的進歩により機会を発揮できない「不合理」

 

物量が必要な局面では特に重要

評価は変動するが精神性は一切変わっていない、根性は合理的な場合もある。

 

 

対して世の中がシステマチックになるにつれ「根性」が代替わりされ無用の長物になる局面にあるが

エストニアの何某の例について、レジカウンターのコンベヤー云々については導入されれば従うし

座ってやれと言われれば座ってやる、別に我々は好きで「根性」を示しているわけではない。

 

それができないのは島国特有の閉塞感言ってしまえば「認識外」であって

これは既得権益に群がるロートル

「できる」労働者の視点でそのままそれを経営に落とし込んだワタミ社長や

経営上儲かるという理由からワンオペを継続したすき屋とか

旧態依然企業の意識改革が足らないだけで

また、それに対して労働者が「できてしまう」現実から問題を精査しにくい状況になっている弁護も一応できる

 

エストニアの何某も単にできてしまう人々の「根性」を利用して

酷使する経営陣に意識改革を促すなら不足はないのに

 

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とかがんばっている下層も無駄に煽っているからよほど「根性」に矛先を向けたいのだろう

 

そもそも、不平不満の分母が大きくて、それでいて不合理な社会が継続させる不条理があるなら

それは転換期の一過性なものであって、不満の空売りはどこかで「根性」で支えきれず

緩やかな買戻しへとつながるのではないでしょうか。

 

例えばたとえば学校における「いじめ」の発覚は長いこと減点につながるという

不合理はあったがそれをやめたら劇的に「いじめ」が摘発された下記の例とか

アニメ業界なんかも「根性」の臨界点を越えてきそうですね。

 

www.okinawatimes.co.jp

結論を言えば「根性」が改革を遅延する側面はたしかにある

しかし必要なのは「根性」ゆえに見落とされがちな損失を見抜く「情報」と「英知」だと思ってる

 

「根性」「情報」「英知」の両立はいまだ日本人の未踏のプロセスなのもしれない

だから時世により「根性」が合理化を遅延させる弊害があっても決して「根性」事体が悪だとは思わない方がいい

いうまでもなく役立つ側面も多い

 

エストニアの何某はせっかく我々に「情報」を与えてくれたのに

何故「根性」の否定に意見が向かうんだ?

 

「根性がいらない」

 

ではなく

 

「情報が足りない」

「英知が足りない」

 

だろ? ついでに「愛が足りない」よ